【サクッと小話】ゼロセブン・トゥーセブン

 

エッセイ的な。

10年ほど前に描いたモノだったので、なんか自分に酔ってて、笑える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゼロセブン・トゥーセブン

 

 

 

 生まれてこのかた、父親というものの愛を受けたことがない。もしかしたら生まれて間もない頃は愛されたのかもしれないが、少なくとも物心がついた時には父は既に私たち家族を見てはいなかった。

 

 両親の間に最早愛なんてものはなく、氷のように鋭利な言葉をぶつけ合う毎日。県営住宅の家は狭く、いくら離れたところにいてもいくら耳を塞いでもそれから逃れることは出来なかった。 それでも両親の喧嘩を聞きたくなかった私は、この家の中でそれを1番遠ざけられる場所を見つけた。水の中だった。

 だいたい地獄が始まる時間になると、衣服を脱ぎ、湯舟に浸かる。そして始まったと同時に大きく息を吸い込み、何もない、震える水の中へ。逃げ込むのだ。息がきれそうになったらまた吸い込む。それをずっと繰り返していたら、いつの間にか私は水中で3分間息を止められるようになっていた。

 

 別れては戻り、別れては戻り。その度に引越しをした。引越しも両親の復縁も嬉しかったから、荷造りは苦痛ではなかった。

 父親の浮気性は今思えば相当酷いもので、夜に工場で働く母が家を出てから毎日のように出掛けていた。その際戸締まりなんてものはしておらず、「子供を何だと思ってるの」と叫んだ母の言葉が今でも耳についている。その時初めて、私は父が私たちを愛していないことに気が付いたのだ。 小学生の私がそのことに気付いたことは、今思えば凄いことだと思う。何がどう凄いのか判らないが、とにかく凄いと思うのだ。

 

 だって小学生なんて、自分が親から愛されていることすら自覚なんてないだろう。「愛」なんて言葉、まだまだ知るには程遠く。愛されることを知らないまま、愛されていないことを知ってしまったのだ。

 しかし、無意識ながらに母からの愛は感じられていた。目一杯、愛を与えてくれたと思う。父が私たちを殺すと言ったあの日も、私を守ってくれた。

 

 何故あの日、父を殺さなかったのだろうと今でも思う。人生なんて、未来なんて関係ない。殺してやればよかったのだ。家族のために、私が私の人生を犠牲にして皆を救ってやればよかったのだ。

 末っ子だった私を母と姉たちは押し入れの中に隠した。今からあの人が来るから、その間決して音を立ててはいけないと言った。しんしんと雪のつもる、凍える夜だった。

 私は言われた通りに隠れた。それしか出来なかった。だから父は私の居場所なんて判らない。だから隙をつけば殺せたはずだった。

 しかし体が動かなかったのは、恐怖のせいじゃない。今自分が行っても何も出来ない、自分の無力さを、暗い闇の中痛感していたからだ。

 

『殺す訳ないだろ、そんな馬鹿なことするか』

 

 そんな中聞こえた、私の人生最後の父親の笑い声。口調も声色も鮮明に覚えている。

 

 そう。私の父親は、感情の高ぶりで自分の妻と娘を殺すという言葉を言える人間だったのです。

 

 だが今、私は幸せだ。間違いなく幸せだ。母も笑っているし、姉も笑っている。そして私もまた、心から笑える日々を送っている。

 

 最後の笑い声と言ったが、父がその直後に死んだわけではない。戸籍上の繋がりを切り、家も引越したので完全に連絡を絶ったのだ。だから今は彼が生きているか死んでいるのも判らない。

 この生活になってもう何年経つだろうか。父の顔などとうに忘れた。ただ未だに覚えているあの頃の断片的な記憶が、時々私に夢を見させたりするだけで。

 

 傷は大分癒えた。私だけでなく家族皆。3人で行きることにも慣れた。お金は、どうにかなる。

 他人に不幸自慢するつもりはないが、もし私に大切な人が出来たとしたら、その信頼の証にこの話をしたいと思う。私と言う人間がどうやって育ってきたのかを知って欲しいなと思う。

 

 

 

 今日は綺麗な青空だ。雲がぽつぽつと流れるだけで、それすら美しかった。

 先日、知り合いの父親が死んだ。私も小さい時からお世話になっていた優しい人だった。

 その知り合いも私と似たような経験をしていて、私ほどではないが、父親による母の涙を幾度となく見ている人だった。

 それでも彼女は泣いていた。声をあげて、床に伏して、大声をあげて泣いていた。私はただ呆然とそれを見ながら、自分の父親が母を殴っている光景を思い出していた。

 

 もう知る由などはないが、もしあの人が今生きていたら。そして死んだら、私は涙を流すだろうか。床に伏すだろうか。大声をあげるだろうか。

 

 今まで彼がやってきたことをすべて許して、心の底から悲しむことが出来るのだろうか。

 

 空だけ青い。

 終わりのないこの空は、私の抱くぶつけようのない疑問の答えを知っているのか?

 傷は癒えたはずだ。それでも思い出すと憎しみが渦を巻く。繰り返し。私は一緒この憎悪を心の底に秘め生きて行かねばならないのか。それが私の、運命なのか。

 

(…天国へ行っても、お元気で)

 

 ならば私は祈ろう。私を取り巻く全ての人間が幸せであるように。根を張る憎しみを背負うのは、私一人で十分だ。

 

End.

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