【第2話】ミッドナイト・ハイウェイ・コンフィデンシャル

 

【あらすじ】
主人公は社会人。決して恵まれていたとは言えない家庭環境の中でも自立して働いてきた。
そしてようやく生活が落ち着いてきたと思いきや、ある問題が発生する。
問題の乗り越え方、簡単に踏み外してしまう道、心の甘えに喝!正義のお爺ちゃんが今回も白髪をなびかせます!

 

 

 

 

 

↓↓

 

 

 

 

「うあ~あぁあ!!」
「よっしゃーもーちょいやー!飛ばすでー!」
「死ぬうゥゥゥ」


 水銀灯がただの線となって視界の端から過ぎ去っていく。風が頬をビンタしている。何発も。何発も何発も!
 ジェットコースターの「ええじゃないか」より怖かった。あの時は「オレ死ぬかも」くらいだったが、今は「死ぬ」と言う確かな確信がある!
 エンジン音が耳をつんざき続け、ないよりはマシだろうと渡された水泳用ゴーグルが風に圧され顔に食い込みたまらなく痛い。オレは死に物狂いで老人の腰にしがみつき、後生だからとひたすらに神に命乞いをしていた。
 口を開ければ前方からなびいてくる白髪が口内に入り込み、嘔吐感がこみ上げてくるので大人しく黙るが、つい先日までの平和な日常からかけ離れた今に、思わず大声で叫びたくなる。
 それでも。
 それでも今は。
 この湾岸線の景色の先で、決着をつけなければならない。

 

 

 

 

 

ミッドナイト・ハイウェイ・コンフィデンシャル

 

 

 

 

 

 

 県営住宅の壁は薄く、隣室で展開される両親の口論は眼前で行われているかのように鮮明に聞き取れていた。どんな表情で怒鳴りあっているのかも容易に想像がつく。布団を被っても、眠りについても、何をしてもその声から逃れることはできないと思っていたのだが、小4の頃ようやく安寧の地を見つけることができた。

 水の中だった。家庭内の不穏な雰囲気を感じ取ると、風呂に湯を張り、急いで服を脱ぐ。大体父親が仕事から帰る夜から喧嘩が始まるので、入浴することで不意に怪しまれることも叱りつけられることもなかった。

 

 

 狭い風呂桶に飛び込み、体育座りをしたまま、開いた両足の間に顔を沈ませる。 
 不思議な気分だった。心地良いとさえ思えた。あんなに険悪でまさに地獄だったのに、水中はお伽の国のように落ち着き払っていて、こぽこぽと鼓膜を震わせる振動が自身の心音を安定させてくれる。喧噪は微かに聞こえるけど声は聞こえてこない。これに気付いてから俺はひたすらに「潜る」ことにのめり込み、気付けば5分以上呼吸を止めることが出来るようになった。

 この特技を活かし、その後水泳で活躍・・・と言う話には勿論ならず、行政や企業の補助支援を受けながら、なんとか義務教育を終え、なんとか大学まで進学し、なんとか就職、なんとか自立・・・していた、はずだった。

「200万・・・」

 25歳の時に引き落とし口座を自身のものに変え、そこからちまちまと返済し続けてきた高校の奨学金。ようやく今月で完済すると胸をなで下ろしていたのだが、なんと200万分の未納があったらしい。両親は確かに自分たちの口座では払ってきたと言っていた。・・・今更連絡を取りその言葉の真偽を確かめる気にはなれない。連絡を取ればまた金の無心をされてしまうだろうし、とっとと離婚すればいいものを惰性でいつまでも共生し続け、何の成長もせず、互いに依存するだけの彼らとはもう、関わりたくはなかった。

 数年に渡り未納の通知を送り続けてきたが1度の連絡もなかったとのことで、200万の返済期限は今月中だと事務担当から機械的な口調で言われてしまった。言いたいことは色々あるのだが、そもそもこちらが悪いのだから、何を訴えたってクレームにしかならない。
 
今月はすでに中旬。今から200万を返すには、またサラ金に足を運ぶしかないのか・・・と脱力しながら平日の公園をふらついていると、背後から名前を呼ばれた。

 

「よう!久しぶりだな、おれの事覚えてるか?疲れてる顔してどうした?」

 

 その声に反応した時から、人生が変わったんだ。

 

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「ほぉ、ほんで?」
「ほんでって…そこで偶然再会した学生時代の友人がWEB広告系の会社を経営している社長で、今話したことを相談したら金を貸してくれることになったんですよ」
「うん」
「だから、どこのどなたか存じませんがあなたに助けてもらわなくても大丈夫なんですって!」

 あまり大声を上げるタイプではないが、会話の進展のなさに思わず苛立ってしまった。

「ていうかここ7階ですよ!?もう一回聞きますけどどうやって入ってきたんですか!?」
「そいつ金貸すゆうても200万の大金よぉポンと出すなぁ?10年近く会うてなかったんやろ?」
「聞いてます!?ほんとに警察呼びますよ…っとに何なんですかあなた…」

 文句をまくし立てている間にカタンと電気ケトルが沸騰を告げ、渋々キッチンへ向かう。ちらと様子を窺えば、老人マスクを被った不審な男性はソファに座り込んですっかり寛いでいた。

(…何なんだ一体…)

 先ほど公園で友人に救われた俺は、首が繋がった思いで帰宅し、適当に夕飯を済ませ、お気に入りの音楽を聴きながら洗濯をしていた。
 
無料で音楽をダウンロードして聴けるなんて本当にいい時代に生まれたと思う。そうじゃなけりゃいくら音楽が好きだからってオレのような貧乏人間は近づくことができなかっただろう。

 夜は深い。近隣の迷惑にならないよう、小声でお気に入りの歌を口ずさみながら洗濯物を干していると、「こんばんは」と渋い関西弁が聴こえた。お隣さん?と衝立を見つめる。「こっちこっち」と後ろを振り向かせられ思わず卒倒しかけた。夜の闇に溶けながら、4階のベランダにおじいちゃんが仁王立ちしていたのだ。

 

 

 

 

「お茶でいいんですよね、そんな恰好してるんだから」
「最近の老人はコーヒーも嗜むで」
「…はぁ。それで、何しに来たんですか?」

 「怪しい人間じゃない」というより先に「借金大丈夫か」と聞かれたので110番する手が止まった。どうして知っているんですかと声を荒げ、慌てて家の中へ老人を押し込み、今に至る。
  ずずず…と嫌に様になってる所作で茶をすすり、老人マスクを被った変な男は口を開いた。

「確認かな。大丈夫ゆうならおとなしく帰るよ」
「…確かにタダで200万立て替えてもらうわけじゃないですよ。その友人が別会社を立ち上げるらしいので、そこの社長になることが条件です」
「実際は社員同然やけど肩書きが社長ゆうことか?」
「その通りです。今はタイミング的に分社はうまくないらしくって。ただ今のチャンスを逃したくないと熱く語ってくれました、かなり踏み込んだ経営状況まで。信用に足る内容だったし、何より楽しそうだと感じたのでその場でOKしました、なので一時的に名義を貸すことになりますね。あとは実際にその会社で働いてみて、俺の判断次第でそのまま継続しても辞めてもいいそうです。リスクのある体裁だってことは勿論承知の上ですよ。でも業界も同じで経験があるし、何より俺にはこれしかないんで」
「今なんも仕事してないんか?」
「してます。でももう辞める旨を伝えたばかりだったんで本当にタイミング良かったんです」
「なんで辞めるん?」
「・・・」

 なんで素顔も見えない人にここまで語らなくてはいけないのだろう?

「・・・今の会社だけじゃなく今まで勤めてきたところ総じてですが。楽しみを感じられないというか、どこもかしこも組織として成り立ってないんですよ。ろくな教育や指導もなく突然現場に放り投げられて、フォローもなければ出来て当たり前で誰も認めてくれないし」
「ふぅん」
「なっ、何ですかその態度、そっちが聞いてきたくせに」
「いやそうゆうもんなんやなぁ思て」
「・・・」

 さてはこの人、無職なんだな。それで暇を持て余してこんな世直し老人ごっこを嗜んでいるんだ。

「オレの話はもういいでしょ。貴方の素性を教えてくださいよ、何が目的でこんな不法侵入なんてしてるんですか。ていうか犯罪者なのにやたら落ち着いてるし」
「見てわかる通りお爺ちゃんやからな。もう大抵のことには動じんのよ」
「ふざけないで下さい!まずなんで僕が借金したこと分かったんですか?この200万が『借金』になったのはついさっきのことなんですよ!」

 テーブルに身を乗り出して追及すると、老人は面倒くさそうに小指で耳をほじり、ゆっくりと口を開いた。

「・・・別に信じんでもええねんけど。人の体の輪郭から滲み出る黒い煙が見えんねんな。じわじわ。夜の闇でも見える。月に向かう狼煙みたいに。その煙が濃く多く出とる場所に向かうと、誰かが困っとる場面によう遭遇する」
「・・・」
「残念ながら今言えるのはそれくらいや」

 その説明は到底信じられないものだったが、4階の我が家まで侵入してきたこと、俺のリアルタイムな現状を把握していること、そして何よりついさっき自分が奇跡のような出来事を経験をして救われた事実があるので、無下に否定する事が出来なかった。

「・・・とにかく、それならば俺はもう大丈夫なんです。ご好意はとても有り難いですがおれ意外にも助けを求めている人はたくさんいるでしょうから、どうぞそちらを優先して下さい」
「うーん・・・」

 老人は腕を組んで悩んでいた。この堂々とした佇まいからも無職の戯れとは見てとれないのだが、得体の知れない存在には変わりない。何を考えて何を悩んでいるのかすら計れない不気味さで心がざわざわする。
 不信感たっぷりの僕の視線を気にすることもなく、一頻り唸り声を上げていた老人は突然立ち上がった。

「今日のところは帰るわ」
「えっまた来るつもりですか!?」
「いや、呼んでくれ」
「はぁ?」
「俺が見える煙な、ヘルプやないねん。悪事やねん」
「え・・・?」
「邪魔したな、おやすみ」

 ガラリとリビングのベランダドアを開き、老人は柵に登ると、消えた。ふっと消えた。俺はただただ呆然とせざるを得ずに。

「・・・7階なんだけど、ここ・・・」


 そう呟くことが精一杯だった。時刻は午前0時を回っていた。
 

 

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 それからとんとん拍子に話と手続きは進み、オレはあっという間に株式会社の社長になった。名刺を渡され、事務所を案内され、あっという間に奨学金の返済日前日になる。
 信頼はしていたが、一抹の不安を払拭するため口座を確認する。200万円はまだ振り込まれていなかった。

『申し訳ない!昨日急な打ち合わせがあって銀行に行けなかった。個人的な振り込みを経理に頼むわけにはいかないからおれが動くしかなくてなぁ、ホント悪い』
「あ、いや・・・そうだよな・・・」
『返済日明日だよな?ギリギリになるけど、今日は動けるから。午後一にでも確認してくれ』
「わかった、面倒かけるな。よろしく」

 内心気が気でなかったが平然を装い電話を切った。こんな時は音楽でも聴いて気持ちを落ち着かせよう。ジャンルはロック一筋。最近のJ-POPとか、それこそボーカロイドなんてものは敷居が高くて聴く気になれない。

(今まで散々苦労してきたんだ。そろそろ報われてもいいだろ・・・)

 仕事はもう辞めてしまった。今日の夕方に会社へ行き、退職金申請や離職票などの書類をもらう約束になっている。辞表の旨を伝えると別段引き留められることもなくすんなりOKされた。まぁ、こんなものだろう。そしてまた新しい奴が入って、また辞めてくんだろう。

 「あれ・・・」

 いつものダウンロードサイトにお気に入りからアクセスしたのだが、【404 not found】が表示されている。


 あれ、もしかして移転?まさか閉鎖?急いでサイト名を検索した。

【音楽村】と。


 検索結果一覧
 ーーーーーーーーー

 ・ほぼ違法ダウンロードサイト「音楽村」突如閉鎖。関連してるとされる会社の存在が判明
 ・音楽村の運営会社社長の身分バレ来た!公式サイト削除前にうっかり問い合わせ先が表示される
 ・特定班動く!社長の名前○○○。住所○○○。作者の努力を踏みにじり金儲けした黒幕はコイツだ!


「は・・・?」

 頭が真っ白になる、という言葉がピッタリとハマった。理解が追いつかず、頭の中ですら何も考えられない。嫌な脂汗がこめかみを伝っていく。激しい動悸を感じている。
 そこに表示されていたのは、確かにオレの名前と住所だった。ディスプレイ上の情報はなんとも現実味のない無機質なものだが、それでもオレを震えさせるには十分すぎた。

 ピンポーン

「!!」

 体が跳ねた。振り返り、モニターを確認する。誰も映ってない。

「何なんだ・・・」

 ふと思いつき、スマホを取り出した。SNSを確認しなくてはいけない、使命のように脳が命令する。とてつもなく嫌な予感がした。こんな時に限って繋がりにくい。くそ。テーブル台に置いてあるルーターを再起動させる。のんびりとした電源の点滅が憎い。もういい。Wi-Fi接続を切り高速通信に切り替えた。

 今度はすんなり繋がった。そしてトップニュースに表示されている絶望的な文字列を目に写した。

「オレの名前だ・・・オレが首謀者になってる・・・」

 うわごとのようにブツブツ呟きながら、虚ろな視界で画面をスライドする。悪質なダウンロードサイトを運営していたのは、オレが社長になったこの会社だと。はっきりと記載されており、凄まじい速さで拡散されていた。
 底なしのバカだが、そんなオレでもすぐに理解した。怒りに震える手をなんとか動かし着信履歴からあいつに電話を掛ける。

『お掛けになった電話は・・・』
「くそッ!!!」

 スマホを床に叩き付けた。いや。落ち着け。今ならまだあの事務所に居るはずだ。今日は施工業者の立ち会いだと言っていた。スマートフォンと財布だけポケットに押し込み急いで靴を履く。ドアを開けて外に出て、鍵を掛けようとした時、張り紙に気付く。

『犯罪者の自宅はここ!』
『音楽村を経営してたのはこの○○です!』
「なんだよ・・・これ・・・」

 さっきのインターフォンはこれか。張り紙をビリビリと破っていると、「やべぇ!」と声がした。

「!?」
「逃げろ逃げろ!」

 自撮り棒を手に持った男が階段を駆け下っていく。・・・嘘だろ。

(ダメだ・・・今は事務所に行くことの方が先だ)

 歯を食いしばり、オレは地面を蹴って走り出した。


 




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 事務所はもぬけの殻だった。
 一度誰も居ないことを確認してからすぐにあいつの会社へも飛び込んだのだが、数人居た社員もろとも煙のように消えていた。デスクの引き出しを開けてみたが、ホッチキスやクリップが無造作に残されていただけだった。
 がらんどうになった室内で呆けていると、窓から見える夕暮れに教えられる。

「そうだ・・・書類取りに行かないと・・・」

 何かをしてないと魂が抜けてしまいそうだったので、オレはふらつきながら陽の沈みゆく街を歩いた。そうだ。頭を下げて退職を取り消してもらおう。この調子では200万が振り込まれているはずがない。2年も居た職場だ。借金でなく奨学金なんだから、事情を話せば情状を酌量してもらえるだろう。

「申し訳ないけど退職じゃなく解雇に返させてもらうよ」
「えっ・・・!?」


 
 社長は軽蔑をたっぷり含んだ視線でオレを見据えていた。

「理由は言わなくてもわかるよね?大したことするね、キミ」
「ち、違うんです!オレは知人にハメられて・・・!」
「そんな事情はどうだっていいんだよ。確かにキミは2年間頑張ってくれた。でもね、こっちだって裏切られた気分なんだ。キミの将来に期待して環境を整備して資格費用を援助して、いくら投資したと思う。それがこんな・・・違法と言っても差し支えないのサイトを運営していたなんてね。関わっていたのは事実だろう、申し訳ないがこれ以上関わりたくない。それ以前に副業も禁止だ。就業規則にはっきり書いている」
「お・・・お願いします!どうしても今お金が必要なんです!もう一度、1から始めさせて下さい!」
「・・・」

 社長はそれ以上、口を開かなかった。応接室に深く重い沈黙が満ちていく。カチコチと秒針の音だけが響き、もうこれ以上何を言っても無駄なのだと、強く痛感する。





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 それからの記憶があまりない。気付けばすっかり夜も更けた公園のベンチに腰掛けていた。先日、この公園であいつに声を掛けられた出来事が、もう遠い昔のように思える。

 


 どこで歯車が狂ったのだろう。
 200万なんて大金、どうやったって準備出来なかった。
 何故オレなんだろう。この役目は誰だって良かったはずだ。たまたまオレがこの公園に居ただけだ。運すらないのか、オレは・・・。


 何もかも失った今、縋る思いで、ある人物に向けて、声を発した。

「助けて・・・」

 神に縋るような気分で。


「オレをどうか助けてください・・・!」


「もちろんや」
「!?」

 驚いて振り返る。人の気配なんて全く感じなかった。

「借金、大丈夫か?」
「・・・っ」

 その言葉を聴いた途端、心の奥底から涙の洪水が押し寄せ、堰を切ったように両目から溢れ出した。

「うあぁあぁ!どうして!どうしてオレなんだ!親にも恵まれなかった、奨学金だって自分で稼いで自分で返してきた!あなたにはこうなることが分かってたんですか!?オレが悪いのはわかってるでもこんなの酷すぎる!家の前で顔も撮られた、もうすぐオレは街も歩けなくなる・・・!」 

 押し殺してきた感情が一気に吐き出されてゆく。
 老人は僕を落ち着かせるように、肩に手を置いた。

「あいつは自分とこの音楽村から利用者の情報あぶり出して悪巧みに使うてた。一通り稼いだら適当な奴探してなすり付けるつもりやったんやろう。その時に君の名前見つけて近付いたようやな」
「・・・そんな・・・」
「この調べついたのもついさっきのことや。ワルの包囲網は中々破れんでな、こないだはオレも詳細まで分からんかった。ただ君からけぶる煙の量が尋常やなくて、テロでも企ててんのか思て突撃したらあんな調子やったから、君も望んでないし悩んだけども退散した。・・・すまんかった。俺がもっと首突っ込んでれば、もっと早く君を止められたかもしれん」
「なんで・・・」

 あなたが謝るんですか。
 そう言いたいのに、声が掠れて言葉にならない。
 オレはただ老人に八つ当たりしているだけだ。それはこの人だって分かっているだろうに、そんな言葉が出てくるなんて。自分とは全く違う人間だと思った。すごいと思った。

「ただ俺が残念なのは、君くらい金の価値を噛み締めている奴が、商品をタダで得続けて、その違和感に気付かんかったことや。そら実感ないやろう、ワンクリックで済むし、今や動画サイトじゃ映像も音楽も有り触れとるからな」

 老人は優しく僕を諭す。

「君が勤めてた会社内で行われとるような生産プロセスが、曲を作って公開するまでにも同じように存在しとるんやで。少し想像すればわかるんやけどな、あぁも堂々と運営されると、感覚麻痺してまうよな」
「・・・すみません」
「親のせいで金がないから無料ダウンロード使うとか、楽に金稼ごうとして騙されて、挙句前の会社に戻してもらおうとか、君の苦労に君が甘えてどないすんねん。誰しも同情の余地がある境遇を送っとるもんや、けどそれは人に言われて初めて有り難み感じるもんで、自分で自分を同情してたらスキ付かれて悪意にも簡単に頷いてまうやろう」

 老人の言葉は心の芯に突き刺さった。今まで見て見ぬふりをしてきた自分の欠点をピンポイントで突かれた気がした。
 いつまでも項垂れてはだめだと重い、頭をあげると、ベンチに座るオレの正面に立っていた老人はバツが悪そうに目を逸らした。

「あーいや、なんちゅーか・・・俺も人様に説教垂れるほど人間出来てないからな、結果君をこんな目に遭わせてもうたし・・・」
「いえ・・・そんなことないです。心に響きました。200万のことは明日向こうの担当に相談してみます。というかよく考えたら、始めからそうすれば良かった。変なプライドで足踏みして、舞い込んできた楽な話に食いついてしまった」

 涙と鼻水を袖で拭って立ち上がった。

「どこのどなたが存じませんが、オレを気に掛けてくれてありがとうございました。おかげで目が覚めました。はは、バカだから、社会的に死んでからやっと大事なことに気付いちゃったけど」



 老人に深く頭を下げ、精一杯のお礼をした。



 本当ならお茶の一杯でも、いや食事でもご馳走しなくてはいけないのだろうが、こんな状態ではちょっと出来そうにないから。
 苦労じゃない。教訓なんだ。この経験をバネにして、生きている限り進まなきゃいけないんだ。

「これからどこ行くねん?」
「自宅まで特定されちゃってるんで、しばらくは漫画喫茶でほとぼり冷まします。自業自得なんで・・・。すみませんホント、最後までご迷惑お掛け・・・」
「それは今ここに君しか居らん場合の選択肢やろ?」

 えっ?
 素っ頓狂な声が夜の公園にこだまする。視界の隅で光る電灯がまもなく切れそうで、チカチカしている。

「ぶっ飛ばしに行こか、そいつ」
「はっ!?いやいや、オレが悪いって話で落ち着いたんじゃ・・・」
「騙した方が悪いに決まっとる」
「で、でももうオレとしては納得したっていうか」
「それとこれとは別の話やろ」

 待て待て。おかしな方に進んでるぞ。しかもなんかこのお爺ちゃん、ギラギラしてきてる・・・。

「そいつの写真とかある?」
「え・・・ああ、SNSとかに確か・・・」

 有無を言わせぬ語調に言われるがままスマホを見せる。そしてとんでもない感想を聞かされた。

「豚やんけ」
「ちょ・・・」
「すぐ捕まえられそうやなぁ、なはは」
「あっ、そうそう、オレも捕まえようと思ったんですけど、もう生憎電話も繋がらなくて事務所にも居なくて~今から追いかけるってのはちょっと難しいんじゃ・・・」

 慌てて説明するのだが、聞いちゃいないといった風に老人はオレを無視してスマホを取り出し、誰かに電話を掛けた。

「罠さん奴の居場所掴めた?」
「!?」
「おぉ~予想通りやな、ははは、俺から逃げられるとでも思うたか。はいはい、はいよ、ご苦労さん」

 愉快そうに老人は電話を切りスマホを操作する。するとどこからともなく重低音が轟きはじめ、何事だとオレが公園を見回している内に、心臓を直に刺激してくるような駆動音を撒き散らしながら、なんと無人のバイクがこちらへ走ってきた!

「わあぁ!」
「奴は高飛びしようと羽田まで車かっ飛ばしとるらしいで。元々ベトナムに作ったペーパーカンパニー隠れ蓑にしとって、向こうの法律では問題ないなんてふざけた主張抜かしよっとったからなぁ」

 キキッと主の前で砂を散らして停車した、「GT400」と記されたどでかいバイクにまたがり、老人はオレに向かってポケットから取り出したゴム製のものを差し出した。

「これって・・・」
「こうなるやろなぁと思ってそこのドラックストア寄っといたんやけど、それっぽいのこれしかなかってん」

 水泳用のゴーグル・・・。

「・・・乗車拒否可能ですか?」
「わはは」

 至って真面目な質問だったのだが、こんな時によくそんな面白いこと言うな、とでも言いたげに老人は軽快に笑い飛ばした。

「もちろん不可能や。行くで」

 なんだか大変なことに・・・なった気がする・・・!






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「うあ~あぁあ!!」
「よっしゃーもーちょいやー!飛ばすでー!」
「死ぬうゥゥゥ」


 


 水銀灯がただの線となって視界の端から過ぎ去っていく。風が頬をビンタしている。何発も。何発も何発も!
 ジェットコースターの「ええじゃないか」より怖かった。あの時は「オレ死ぬかも」くらいだったが、今は「死ぬ」と言う確かな確信がある!
 モーター音が耳を劈き続け、ないよりはマシだろうと渡された水泳用ゴーグルが風に圧され顔に食い込みたまらなく痛い。オレは死に物狂いで老人の腰にしがみつき、後生だからとひたすらに神に命乞いをしていた。
 口を開ければ前方からなびいてくる白髪が口内に入り込んできて嘔吐感がこみ上げてくるので大人しく黙るが、つい先日までの平和な日常からかけ離れた今に、思わず大声で叫びたくなる。
 それでも。
 それでも今は。
 この湾岸線の景色の先で決着を付けなければならない。

 弱い自分に。ずるい自分に。
 甘えきってた、今までの自分に。

「おったァ!あのプリウスや!」

 満月がどこまでも僕らの後をついてきて、奴の車を、悪事を照らし出す。まるでこの老人のようだなんて他人事のように思っていると、バイクは更に加速して、一気に前を走りゆく車との距離を詰める。
 このゴツいバイクはあらゆるパーツが人間の内臓のように律動し、駆動し、作用して、命を削りながら本体を激動させる。その勢いとスピードは凄まじく、気を抜けば体の一部がちぎれてしまいそうだ。

「どっ、どうするんですか!?」

 大声で叫ぶ。

「そら止まってもらわなあかんな!」
「ど・・・」

 どうやって!?
 嫌な予感がしてそれ以上言葉が出なかった。
 猛スピードで駆けていくバイクはあっという間に追い越し車線を爆走するセダンの後ろで追尾して、隣の車線の安全を確認してから、追い越すようにして横にビタ付けした。
 助手席に座る人間が面食らった顔でこちらを凝視している。見間違うはずがない、オレを陥れたあいつだ。

「!」

 奴が運転席へと何かを叫ぶと、突如車体がセンターラインを超え、オレたちをガードレールへ追い込もうと幅寄せしてきた!

「わあぁぁああ!!」

 死を覚悟して叫ぶオレとは対照的に、前方から風の音に紛れかすかな笑い声が聞こえてきた。この人、イカれてるんじゃないか・・・?

「悪党はそうでなきゃな!よっしゃ自動操縦に切り替えたでぇ!ハンドル掴んでてくれ!」
「えぇっ!?ぎゃああ!」

 ぐいと思い切り腕を引かれ強制的に運転席へ座らせられる。風圧で振り落とされそうで生きた心地がしなかった。老人はというと、信じられないことにハンドルの上に、立っていた。横から迫ってくる車を正面に構え、仁王立ちしていたんだ。

「なっ・・・!?」

 そしてこちらへ近付く車がバイクに当たる寸前、その瞬間、老人は飛び、ドロップキックのように両足から助手席のガラスをガシャアァン!とぶち破ったのだ!

「!!!?」

 車の縁(へり)に掴まる片手を残して老人が車内に侵入する。連動してギイイィイ!!と強烈なブレーキ音がその場に轟き渡り、車体は回転しながら中央分離帯のガードレールに衝突して停止した。自動操縦モードのバイクもそれに合わせて緩やかにスピードを落としていく。後続車が来たら大変だと、慌てて車側に近付いて停車を待った。
 瞬く間にタイヤの焼け焦げた臭いがあたり一帯に充満する。正直言って、目の前で何が起きているのか未だ整理がつかなかった。

「こ、殺す気か!なんなんだお前!!」

 嫌に静まりかえった事故現場に、ヒステリー気味の金切り声が響く。バイクから身を降ろし、ゴーグルを外しながらあたりを確認すると、電光掲示板には早くも【○○~○○区間通行止め】と表示されていた。先ほど電話でやり取りをしていた相手だろうか、もう今更何が起きても驚きはしまい・・・。

「正義のお爺ちゃんやで~」

 バギャッ!と乱暴な音と共に助手席のドアが老人の足によって車内から蹴り飛ばされ、思い切り吹っ飛んだ。そのまま老人は「よっ」と外に出て、車の上に悠々と腰掛ける。
 これでもう奴は、車内に籠城することは出来なくなった。

「クソッ・・・お前はここに居ろ」

 運転席の社員に告げ、胆を吐きながら道路へ身を乗り出してきた。まるで別人だ。いや、これがこいつの正体だったんだ。

「お前のせいで台無しだぞクソが!」

 般若のような顔つきでこちらへ詰め寄ってくる。

「お互い様だろ、良かったじゃないか」
「お前みたいなカスと一緒にすんじゃねぇ!」

 奴が拳を振りかぶる。オレはその醜く歪んだ顔面に、クロスカウンターをぶち込んだ。
 どぉっと、巨体が地面に沈んだ。もうこれ以上は何もないのでじんじん痛む右拳を震わせながら老人を見た。変わらず老人はボロボロの車の上から足を垂らしオレを見守ってくれていた。その時初めて、月光に照らされたマスクの奥の瞳が、柔らかいことに気付いたんだ。

「ええんか?」
「はい、もう十分です」
「優しいやっちゃな」
「いえ・・・連れてきてもらわなければ、こんなことできませんでした。ありがとうございます」

 上手く笑えていただろうか。自信はなかったが、最後に笑顔を見せたいと思った。それを見た老人は口元を綻ばせてからジャンプして飛び降り、オレの元へと歩み寄る。

「ほなら帰ろか。送ってくで」
「え・・・いいんですか、ここ」
「ええねんええねん。後片付けは俺の仕事やないからな。それにこいつら誰にも泣きつけんやろ、悪いことするとな、こういう弊害が出てくるもんや」

 言葉は重くその場に響いた。呆然としている奴らを一瞥して、オレは老人の後ろにまたがった。


 
 
 
*****************************





 ああ、空が青白んできた。
 こんな風景を見たのはいつぶりだろう。
 行きとは違って常識的なスピードだったので、走行しながらでも会話することができた。

「・・・これで良かったんだ・・・」
「んー?」
「いや、明日からどうやって行きてこうかなって」
「いっぺん死んだんやから好きなことやってみればええんちゃう?」
「好きなことかぁ・・・」

 風が気持ちいい。
 心が穏やかだ。
 思い出す。昔の特技を。昔の夢を。

「このバイクのGT400って歌、歌ってもいいですか」
「お、ええで~」
「I WANT THE MOTORCYCLE・・・」
「ちょお違うなぁ、I WANT THE MOTORCYCLE~」
「うまっ!!?ていうか何でそんな不思議な声してるんですか、なんか通るけど繊細っていうか・・・」


「かっかっか。そらもう、色んな経験積んできたからなぁ」




 I WANT THE MOTORCYCLE
 青っぽい夜明け近く
 そいつ またがるんだ
 400の黒いヤツで
 トンネルは続くのさ
 どっか 行っちまえばいい・・・







*****************************



 その後、詐欺罪で捕まったあいつの正体はあっという間に世に広まり、オレの名前がデマであることが認知されると世間はすぐにオレを忘れた。

「はーい今日はここまでー!」

 声を掛けると、子供たちは水しぶきを上げながらプールサイドへ上がり出す。「ありがとうございました」とおしゃべりが混ざる賑やかな室内で、ひとりの生徒が近付いてきた。

「コーチのゴーグル、なんでいつまでも色はげたヤツ使ってんの?買い換えたら?」
「あぁ、これ?これはねー・・・大切なモノだから、これでいいんだよ」
「ふーん?」

 今イチ納得していない様子だったが、それ以外に説明しようないのだから仕方がない。
 オレは最後の生徒と挨拶して、帰り支度を始めた。

「さよならー!」
「はいさようなら。帰り気を付けるんだぞ~」








 車に乗り込みエンジンをつける。あぁ、今日も疲れた。でも今日も、楽しかった。

『さて、今日は題して「実力アマチュア歌手特集!」一人目は動画配信サイトで話題の男性歌手、この方はですね、若さと渋さを併せ持つ歌声と圧倒的な歌唱力でフォロワーも飛び抜けているのですがなんと一切の情報が不明と言うミステリアスな・・・』

 音楽を聴こうとオーディオを切り替えようとした瞬間、オレの指は止まった。

『ケサミ、という名前以外は一切不明で動画上も真っ暗みたいなんです』
『へぇそれは面白いですね。よほど自信がないとそんなことできないんじゃないですか?』
『配信中も一切の雑談もなく淡々と2、3曲歌って終わりらしいです。楽曲はすべてオリジナル曲のようなのですが、独創的すぎて視聴者は全く理解できないみたいです』
『えぇ!?スゴイですねそれ、それで人気があるんですか?』
『そうなんですよ。ロックテイストな曲調で、ひたすらに炎の熱さを叫んだり、何かを後悔する様子を15分ほど歌い続けたり、石を食べて歯が欠けたと嘆いたり・・・』
『ちょっと最初っからそんなぶっ飛んだ人出ちゃって大丈夫ですか?まず聴かせて下さい!』
『そうですね。まずは聴いてみましょう。タイトルをつけてないようなので、とにかく一番人気の曲を流します。どうぞ!』

 

 
 音質の悪い標準装備のスピーカーから流れてきた音楽らしきもの。
 不協和音が鳴り響くイントロから一点、高速道路を突き抜けるような疾走感に転調され、聞き取りづらい高音の叫び声が鼓膜に刺さるようだ。自殺することが決められている高速ドライブ。緊張。追憶。今までの人生が景色と共に瞬きのうちに過ぎ去る。不安と命の危機が胸いっぱいに満たされた瞬間に迎えたサビは、それらの不安要素を一切取り除いた、清涼感さえ覚えるストレートなメロディだった。鳥肌が立つ。あの時聴いた、唯一無二の歌声が車内に残響する。その歌詞はたった一言を繰り返していた。「生きていてくれ」。







 曲が終わり、パーソナリティ達の何も分かってないコメントが終わり、次の歌が紹介されても尚、オレは指先ひとつ動かすことが出来なかった。よくこいつらは平然と喋り続けられるなと思った。もしかして特定の人間にだけ響くように作られているのか?次第に視界は滲み出し、涙が頬を伝うことなく落下していく。

 


 そうか。
 あの飄々とした老人がずっとオレに伝えたかったこと。
 あの映画みたいな出来事の中で、ずっと彼が願っていたこと。

 

 「生きていてくれ」、それだけだったんだ。

 

 

 生かされた命を思うと心臓の鼓動が聞こえてくる。
 オレは涙を拭って前を見た。明日を生きるためにも、前を向いて進まなくては。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 終


 

 

 

 

 

 

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